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佐賀地方裁判所 昭和50年(ヨ)51号 判決

申請人 加藤勝憲

右訴訟代理人弁護士 美奈川成章

被申請人 日本農薬株式会社

右代表者代表取締役 吉田豊

右訴訟代理人弁護士 安永沢太

右同 安永宏

主文

申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

被申請人は申請人に対し昭和四九年八月一四日以降毎月二五日限り九万五、二六九円を仮に支払え。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請人

主文と同旨。

二  被申請人

1  本件仮処分申請を却下する。

2  訴訟費用は申請人の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被申請人は農薬製造を業とする株式会社で佐賀に工場を置いており、申請人は昭和四八年四月被申請人の工員として臨時採用され、同年五月本採用となり、被申請人の佐賀工場に勤務していたものである。

2  被申請人は、昭和四九年八月一三日、申請人に対し、申請人が採用時提出した履歴書に真実は大学中退であるのに高校卒と虚偽の事実を記載したことおよび昭和四八年六月二五日佐賀地方裁判所において暴行罪により罰金二万円の有罪判決を受けたことが被申請人会社の労働協約二五条三号の「経歴を詐り又は隠し、その他不正な方法を用いて雇い入れられたとき」および同条七号の「刑事上の問題にて罰則を受けたとき」にあたるとして、申請人を懲戒解雇する旨の意思表示をし、以来申請人の雇用契約上の権利を争っている。

3  しかし、右解雇の意思表示(以下、本件解雇という。)は解雇権の濫用にわたるものとして無効である。すなわち

(経歴詐称について)

(一) 申請人が、昭和四四年四月国立佐賀大学理工学部に入学し、昭和四七年七月同大学を中途退学しながら、被申請人との間で雇用契約を締結する際、被申請人から提出を求められた履歴書に、右大学中退の事実を記載しなかったことは認める。

(二) しかしながら、いわゆる経歴詐称とは、労働契約の一方当事者たる労働者が、契約締結に際し、一定の範囲内で、他方当事者たる使用者に真実の経歴を申告すべき義務に違反する行為であって、契約締結時における信義則違反の問題であるから、使用者は、これに対し、民法上の錯誤や詐欺を主張しあるいは売主の瑕疵担保に相当する責任を追求して契約の解除を請求しうるにとどまり、これを理由に懲戒処分することは許されない。

(三) 仮にそうでないとしても、契約成立前の信義則違反行為を懲戒処分の理由とするためには、それが具体的に企業秩序を脅かすものであることが必要であるから、経歴詐称行為は、雇用契約上の信頼関係を破壊し、ひいては企業秩序を具体的かつ継続的に侵害する場合にかぎって例外的に懲戒処分の対象となるにすぎない。

そして、近代市民社会における使用者と労働者の関係は、支配服従の人格的従属関係ではなく、労働力という商品の交換主体としての契約当事者間の対等な関係であるから、右にいう信頼関係も、当事者の意思や感情を中心とした主観的なものではなく、労働力の提供を中心とした客観的なものと解すべきであり、労務の内容と無関係な経歴や、労働力の評価に影響のない経歴の詐称などは、そもそも懲戒事由とすることができないものである。

(四) ところで、学歴は、一般に重要な経歴であるということができるが、本件のように大学中退を高校卒と称した場合は、大学中退が高校卒をその前提とするものであるから、正確には詐称ではないともいいうるし、仮にこれを詐称というにしても、このようないわゆる低位の学歴詐称は、中学卒を高校卒と偽るようないわゆる高位の学歴詐称と異なり、労働力の評価を不当に誤らせるものではないから、これをもって懲戒解雇事由とすることは許されない。

(五) しかも、申請人の従事していた労務の内容は、農薬の袋詰め、運搬等の単純作業であり、高校卒か大学中退かによって全く影響を受けないものであったうえ、申請人が大学中退であることによって、特に被申請人の職場に問題を生じさせたわけでもなかったから、右学歴詐称は、被申請人の企業秩序を侵害するようなものではない。

(刑事処分について)

(一) 申請人が、昭和四八年六月二五日佐賀地方裁判所において、暴行罪により罰金二万円の有罪判決を受けたことは認める。

(二) しかしながら、懲戒制度の趣旨からして、刑事処罰を受けたことが処分事由となりうるためには、当該犯罪行為が企業の信用を著しく失墜せしめあるいは当該企業に対し直接損害を及ぼすような性質のものであることが必要であり、企業秩序の存立に無関係な職場外の軽微な事件については、懲戒処分の事由とすることができないと解すべきところ、前記暴行事犯は、被申請人の職場外における偶発的な事件であり、事案も軽微であって宣告刑も罰金二万円にすぎないうえ、申請人は農薬製造の現場作業員にすぎず、右判決を受けたからといって、被申請人の信用を害したり職場秩序を乱すことも全くなかったものである。

以上のように、本件経歴詐称および刑事処罰は、いずれも懲戒解雇事由たりえないものであるから、これを理由とする本件解雇は、被申請人が解雇権を濫用してなした無効なものである。

4  申請人は、被申請人より毎月二五日に賃金の支払いを受けていたが、本件解雇前三か月間の月額平均給与は九万五、二六九円であった。

5  そこで、申請人は、被申請人に対し解雇無効の本訴を提起すべく準備中であるが、本案判決確定まで賃金が支払われないと、被申請人より支払いを受ける賃金のみによって生活している申請人は回復し難い損害を被るおそれがある。

6  よって、申請人は被申請人に対し、地位の保全と昭和四九年八月一四日から毎月二五日限り九万五、二六九円の賃金の仮払いを求めるため本申請に及んだ。

二  申請の理由に対する認否および被申請人の主張

(申請の理由に対する認否)

1 申請の理由1項は認める。

2 同2項のうち、被申請人が、申請人をその主張の日時に解雇したことおよび解雇理由として申請人主張の二事由を告知したことは認めるが、その余は否認する。

3 同3項は否認する。

4 同4項は認める。

5 同5項は争う。

(被申請人の主張)

1 本件解雇は、被申請人が、次の理由から、被申請人会社の労働協約二二条一〇号、就業規則六三条八号に基づき、事情やむを得ない場合にあたるとしてなした通常解雇である。すなわち

(一) 申請人は、昭和四三年三月福岡県立福岡高等学校を卒業し、一年間浪人したのち、昭和四四年四月国立佐賀大学理工学部に入学し、昭和四七年七月同大学を中途退学したにもかかわらず、被申請人に対しては、右大学中退の事実を隠し、昭和四三年三月福岡高等学校を卒業後直ちに有限会社松永電気商会に入社し、昭和四六年一二月まで勤務していた旨虚偽の事実を記載した履歴書を提出し、さらに、採用前の昭和四七年一二月二九日暴行罪で佐賀地方裁判所に起訴され、臨時採用および本採用時は、いずれもその公判係属中であったが、右事実を秘匿し、入社後の昭和四八年六月二五日罰金二万円の有罪判決を受けた。

(二) また、申請人は、被申請人が現場作業員に対して行う昇級試験の際に白紙答案を提出したり、採用後満一年を経過した昭和四九年五月ごろから集中的に作業ミスを出したりした。

(三) そこで、被申請人は、これら申請人の学、経歴詐称、刑事処分および現場作業員としての不適格性等を総合勘案し、申請人には労働協約二二条一〇号、就業規則六三条八号の事情やむを得ない場合にあたる理由があると判断して、昭和四九年八月一三日申請人を解雇したものである。

2 申請人に対する解雇は、正当な理由に基づき適法有効になされたものであって、何ら解雇権の濫用にわたるものではない。すなわち

(一) 労働契約は、継続的労務供給契約であるところから、労使間に信頼関係が保たれてはじめて企業秩序も維持されるものであり、従って、労働者が、採用時に、使用者より、その人物、能力等を調査、判断するための資料の提出を求められた場合には、できるかぎり真実の事項を明らかにすべき義務があるというべきところ、申請人は、高校卒業後における社会生活の重要部分を占める学、経歴を秘匿し、虚偽の事実を申告したものであり、右は、同人の全経歴の詐称に近いものであるから、その不信義性は極めて甚だしいものである。

(二) また、被申請人においては、職種、技能等により採用基準および採用手続を異にしており、現場作業員には大学卒またはそれに準じる高学歴者を採用しない方針をとっているが、それは、高学歴者は肉体労働に依存した画一的、反覆継続的な熟練作業に対する一般的耐性を欠きがちで、当初は現場職としての待遇を容認していても、時日の経過とともにやがてその待遇について不満感を持つようになり、十分な作業能率ひいては継続勤務ないしは定着性を期し得ないことおよび高校卒以下の現場管理職の下にそれ以上の高学歴者を配置することは労務管理上支障をきたすことなど一般経験則上明らかな合理的根拠によるものである。従って、申請人が、被申請人の採用基準に適合しないことが判明し、また前記のように白紙答案を提出したり、頻繁に作業ミスを出すなど現実に現場作業員としての不適格性を如実に示すに至った以上、これを解雇することは当然のことといわなければならない。

第三疎明関係≪省略≫

理由

一  被申請人が農薬製造を業とする株式会社で佐賀に工場を置いていること、申請人が昭和四八年四月被申請人の工員として臨時採用され、同年五月本採用となり、以来被申請人の佐賀工場に勤務していたこと、被申請人が昭和四九年八月一三日申請人に対し本件解雇の意思表示をし、以後申請人の被申請人会社従業員たる地位を争っていることは当時者間に争いがない。

二  申請人は、本件解雇は(1)申請人が採用時提出した履歴書に虚偽の経歴を記載したこと(2)昭和四八年六月二五日佐賀地方裁判所において暴行罪により罰金二万円の有罪判決を受けたことを理由になされた懲戒解雇であると主張するのに対し、被申請人は、右(1)(2)のほか、(3)申請人が現場作業員に対し実施された昇級試験の際に白紙答案を提出したり採用後一年を経過した昭和四九年五月ごろから集中的に作業ミスを出すようになったことをも総合考慮してなされた通常解雇であると主張するので、まず、この点を検討するに、≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が一応認められる。

1  本件解雇に際しては、申請人に対し解雇予告手当および退職金が提供されたほか、解雇通告書には、解雇の根拠として、労働協約二二条一〇号および就業規則六三条八号の「事情やむを得ないと認めたとき」の通常解雇条項が掲げられ、形式上通常解雇の手続きがとられたこと、しかし、その実質は、被申請人において、申請人に前記(1)(2)の各事由があり、右は、労働協約二五条三号および就業規則五七条三号の「経歴を詐り又は隠し、その他不正な方法を用いて雇い入れられたとき」ならびに労働協約二五条七号および就業規則五七条七号の「刑事上の問題にて罰則を受けたとき」の各懲戒解雇事由に該当すると判断したためになされたものであって、前記(3)の事由は、本件解雇に際し、解雇理由として考慮されたことはなかったこと。

2  被申請人が、右のように申請人に懲戒解雇事由の存在することを判断しながら、通常解雇の手続きによったのは、労働協約および就業規則に、従業員に懲戒解雇事由が存する場合にも、これを通常解雇することができるとされていることから、もっぱら申請人の将来に及ぼす影響を配慮したためであったこと。

右の事実によれば、本件解雇は、その実質において、前記(1)(2)の事由をもってなされた懲戒解雇であると認めるのが相当である。

そうすると、本件解雇の当否を判断するためには、申請人に右(1)(2)の事実が認められるかどうか、さらにそれが前記各規定に定める懲戒解雇事由に該当するかどうかが検討されなければならない。

三  そこで、以下、これらの点につき検討する。

1  経歴詐称について

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が一応認められる。

(1) 申請人は、被申請人に採用される際提出した履歴書に、昭和四三年三月福岡県立高等学校を卒業後、同年四月から松永電気商会有限会社に営業販売係として勤務し、昭和四六年一二月都合により同社を退社し、さらに昭和四七年三月からブリヂストンサイクル株式会社旭工場に季節臨時工として勤務し、同年一二月都合により同社を退社した旨を記載し、採用面接の際にも、自己の経歴が右履歴書記載のとおりである旨および松永電気を退社したのは、同社が経営不振となったことや申請人が店頭販売の仕事に向いていないと思ったためであり、ブリヂストンサイクルでは、本採用になる見通しがなかったため退職した旨をそれぞれ申述したこと。

(2) ところが、申請人は、実際は、高校卒業後、一年間浪人して昭和四四年四月国立佐賀大学理工学部に入学し、昭和四七年七月まで同大学に在学して中途退学したものであり、前記松永電気に勤務した事実はなかったうえ、前記ブリヂストンサイクルを退社した理由も、申請人が長期にわたって無断欠勤したため解雇されたことによるものであったこと。

右の事実によれば、申請人は、被申請人との雇用契約締結に際し、高校卒業後の学歴および職歴につき、前記のごとき虚偽の事実を申述し、その経歴を詐称したものというべきである。

(二)  ところで、使用者が労働者を採用するにあたって、履歴書等を提出させその経歴を申告させるのは、労働者の資質、能力等を評価し、当該企業の採用基準に合致するかどうかを判定する際の資料とするほか、採用後における労働条件の決定および労務配置の適正を図るための資料に供するためであるから、使用者側から、このような資料の提出を求められあるいは採用面接の際に自己の経歴等について質問された場合、真実を告げることは、信頼関係を基礎とする継続的契約である労働契約を締結しようとする労働者に課せられた信義則上の義務といわなければならない。従って、労働者が、自己の経歴について虚偽の事実を申告することは、重大な信義則違反行為であるとともに、使用者をして労働力の評価を誤らせ、ひいては企業の賃金体系を乱し適正な労務配置を阻害するおそれがあるから、使用者は、既に採用した労働者に経歴詐称の事実が発覚した場合、これを懲戒処分の事由とすることも原則として是認されるべきである。

しかしながら、使用者は、いかなる者を採用し、いかなる部署に配置するかを自由に決定しうるものであるから、採用にあたり、労働者の資質、能力を評価しあるいはこれを適正に配置することは、もともと使用者の責任と危険においてなすべき事柄であるうえ、使用者が、労働者に対して行う懲戒処分は、本来企業秩序が侵害された場合に、これを回復することを目的としてなされる組織上の制裁であるから、経歴詐称を、懲戒解雇の事由とするためには、単に経歴詐称が、雇用契約締結上の信義則に違反するというだけでは足りず、労働者が、経歴詐称により、使用者をして、その資質、能力に対する適正な評価、判断を誤らせ、そのために、企業の賃金その他労働条件の体系を乱しあるいは適正な労務配置を阻害するなど企業秩序を現実に侵害した場合でなければならないと解するのが相当である。

被申請人の労働協約二五条三号および就業規則五七条三号が、前記のように「経歴を詐り又は隠し、その他不正な方法を用いて雇い入れられたときは懲戒解雇とする」旨規定するほか、その但書において「情状を酌量して譴責、減給又は出勤停止の処分を行うことがある」旨規定しているのも、この意味において理解されるべきであり、経歴を詐り又は隠して雇い入れられたときは、直ちに、懲戒解雇をなしうるものと解するのは相当でない。

(三)  そこで、申請人の前記経歴詐称が懲戒解雇されてもやむを得ないものであったかどうかにつき検討するに、≪証拠省略≫を総合すると、被申請人は、東京に本社を置き、佐賀、大阪および埼玉に農薬製造工場を有する従業員総数約八〇〇名の株式会社であるが、従来から現場作業員には大学卒またはそれに準ずる高学歴者を採用しない方針をとっており、そのため佐賀工場においても、現場従業員の最終学歴はほとんどが高校卒以下であり、それ以上の学歴を有する者は申請人を除きわずか一名にすぎなかったこと、被申請人がこのような採用方針をとっているのは、高学歴者は肉体労働に依存した画一的、反覆継続的な熟練作業に対する一般的適性を欠きがちで、当初は現場職員としての待遇を容認していても、やがてそれに不満を持つようになり、十分な作業能率ひいては継続勤務ないし職場定着性を期待しえないおそれがあるほか、被申請人の現場管理職員がほとんど高校卒以下の低学歴者であるため、その下にそれ以上の高学歴者を配置することは労務管理上支障があるとの配慮によるものであることが一応認められる。

右の事実によれば、申請人が大学を中途退学していたことが当初より明らかになっていた場合には、被申請人においてこれを採用しなかったであろうと一応推認することができ、従って、申請人の前記経歴詐称は、被申請人における従業員の右採用基準に照らし、必ずしも軽微な事項とはいい難い。

しかしながら、被申請人の右のような採用方針は、現段階においては、一応合理的な面を持つものといいうるが、いずれは雇傭状況の変化により、これを維持しえない事態が到来することも予想されなくはなく、また前記のように被申請人の佐賀工場において、高校卒以上の学歴を有する者がわずか一名にしろ現場作業員として採用されていることに徴しても、右の方針が、例外を許さないほど厳格に運用されているとも認め難く、さらに、申請人は、自己の最終学歴を実際より低位に申述したものであって、より高位の学歴を詐称した場合とは異なり、被申請人をして、自己の能力を過大評価させたものでもなかったうえ、≪証拠省略≫を総合すると、申請人は、昭和四八年四月臨時採用されたのち、昭和四九年八月一三日の本件解雇に至るまでの約一年四か月にわたり、被申請人の佐賀工場において、主に農薬粉剤の製造に従事していたものであるが、申請人の担当していた労務内容は、特別の技能や経験を要するものではなく、極めて単純容易な作業であり、学歴の高低や職業経歴等によって特に影響を受ける性質のものではなかったこと、また本件解雇に至るまでの申請人の勤務成績も、他の従業員と比較して、農薬の調剤および混合の際、軽微なミスが多少多かったほかは、大差なく、申請人が被申請人の業務遂行上、特に弊害となるような言動に及んだりあるいは職場の人間関係に支障をきたすような問題を生じさせたりしたこともなかったこと、さらに賃金や賞与等の面においても、他の現場作業員と全く同様の待遇を受けていたことが一応認められるから、申請人が現場作業員としての能力、適性に欠けるところがあったものともいい難く、また前記経歴詐称により、被申請人の賃金体系および労務配置の適正が阻害されたこともなかったことが明らかである。

さらに、≪証拠省略≫を総合すると、申請人は、鳥栖公共職業安定所を通じて被申請人の従業員募集に応募したものであるが、被申請人においては、同職業安定所に募集依頼をするにあたり、募集対象者の学歴を高校卒業程度と指定しただけで、特にそれ以上の高学歴者は、大学中途退学者も含めてすべて除外するとの条件を明示していたわけでもなく、また、被申請人の佐賀工場において行われた採用説明会においても、労働条件や賃金および作業内容等について主に説明されたにすぎなかったため、申請人としては、被申請人の前記採用方針を事前に知りうる機会が与えられていなかったこと、被申請人においては、申請人を臨時採用したのち、申請人の経歴等につき、興信所に依頼して独自に調査したが、右調査がずさんであったため、申請人が佐賀大学を中途退学していたことに気付かないまま本採用したものであり、その後昭和四九年五月になって、申請人の経歴を再度調査確認した際、はじめて経歴詐称の事実を発見するに至ったものであることが一応認められ、右の事実によれば、被申請人の現場作業員の募集方法は必ずしも適切妥当なものであったとはいい難く、また、申請人の採用にあたっても、その経歴等につき十分な調査を怠ったものといわなければならない。

また、≪証拠省略≫によると、申請人が被申請人から提出を求められた履歴書に大学中退の事実を記載しなかったのは、大学を卒業していないので最終学歴を高校卒と記載して差しつかえないと考えたことと大学では学生運動に関係していたためあまり触れられたくなかったという気持ちからであって、大学を退学した理由も、学業を続ける意欲を失ったことによるものであり、学生運動に関係して処分を受けたためではなかったことが一応認められるから、その勤務、態様において必ずしも悪質重大なものであったとも断定し難い。

以上の諸点を総合すると、申請人の前記経歴詐称は、被申請人の企業秩序を現実に侵害する程のものではなかったものと認められるから、これをもって懲戒解雇事由とすることはできないものといわなければならない。

(四)  なお、被申請人は、申請人が被申請人の従業員募集に応募した当時、暴行罪で佐賀地方裁判所に起訴され、その公判係属中であったにもかかわらず、履歴書の賞罰欄に右の事実を記載せず、また採用面接の際にもこれを秘匿したと主張するところ、≪証拠省略≫によると、申請人は暴行罪により昭和四七年一二月二九日佐賀地方裁判所に起訴され、被申請人に採用された当時、その公判係属中であったことが一応認められるが、現に公判係属中とはいえ、有罪判決があるまで無罪の推定を受けるものであることを考慮すると、必ずしも申請人に自己の経歴として右事実を申述すべき義務があったとはいい難く、申請人が右の事実を秘したとしても、これをもって経歴詐称ということはできない。

2  刑事処分について

(一)  申請人が、昭和四八年六月二五日佐賀地方裁判所において暴行罪により罰金二万円の有罪判決を受けたことは当時者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すると、右の暴行事件は、昭和四七年一二月一〇日、申請人の寄宿先の婦人が、家主に対し、日ごろの子供に対する仕打ちについて難詰中、同人から肩を押されたことを目撃した申請人が、憤慨して、とっさに、右両名の間に割って入り、家主の顔面を手拳で四、五回殴打したというものであったことが一応認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。

(二)  ところで、被申請人の労働協約二五条七号および就業規則五七条七号は「刑事上の問題で処罰を受けたときは懲戒解雇される」旨規定していること前記認定のとおりであるが、右の懲戒処分も、前述のように企業秩序違反に対する組織上の制裁であるから、就労に関する規律と無関係な従業員の私行上の非行は、それが企業の信用を失墜させあるいは企業の利益を害するような場合にかぎって懲戒処分の対象となりうるものと解され、被申請人の右労働協約および就業規則の各規定も、この限度において懲戒解雇の根拠規定となるにすぎないというべきである。

(三)  これを本件についてみるに、申請人の前記暴行事件は、前記のように、申請人が被申請人の従業員として採用される以前の偶発的事犯であり、その態様も単純かつ軽微であって、宣告刑も罰金二万円という軽いものであったうえ、申請人は被申請人の一工員として勤務していたものにすぎないから、申請人が前記犯罪により刑事処罰を受けたからといって、直ちに被申請人の信用を失墜させあるいはその利益を害したとも考えられず、これによって被申請人の職場秩序が侵害されたともいい難い。

そうすると、申請人が前記刑事処分を受けたことをもって、懲戒解雇事由とすることもできないものというべきである。

3  してみると、本件解雇は、申請人に労働協約および就業規則に定められた懲戒解雇事由が存在しないのにかかわらずなされた無効なものというべきであるから、申請人と被申請人の間には、なお雇用契約関係が存続し、申請人は被申請人に対し、右契約上の権利を有していることが明らかである。

四  申請人が、被申請人より毎月二五日限り、本件解雇前三か月間に平均月額九万五、二六九円の賃金の支払いを受けていたこと、申請人が本件解雇後、右賃金の支払いを受けていないことは当事者間に争いがなく、申請人本人尋問の結果に弁論の全趣旨を考え合わせると、本件地位保全ならびに賃金仮払いの仮処分の必要性は十分認められる。

五  よって、申請人の被申請人に対する本件仮処分申請は、すべて理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塩田駿一 裁判官 三宮康信 窪田もとむ)

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